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都ぞ弥生の「都」とはどこか(完結版)

322(永年)   刈谷 純一

2月のニセコ合宿で、飲んで歌っているうちに「都ぞ弥生の都とは札幌か」との声が上がった。正解は東京なのである。

      都ぞ弥生の雲紫に
      花の香漂う宴遊のむしろ
      尽きせぬ奢に濃き紅や
      その春暮れては移らふ色の
      夢こそ一時青き繁みに
      燃えなん我が胸想いを載せて

ここまでが東京である。そして

      星影さやかに光れる北を
      人の世の 清き国ぞとあこがれぬ

と、やっと北海道が出てくる。2番以降は札幌賛歌となっている。この不可解な詩を理解するには当時の状況を知らねばならない。

開学当時、札幌農学校には予科がなかった。任されたクラーク博士はどうしたか。何と東京英語学校(後の1高)に生徒募集に行ったのだ。東大を目指していた学生たちを集めてクラーク氏が何を語ったかの記録は残されていない。しかし感動した青年たちが大挙して札幌を目指したのだ。何に感動したのか。その後の発言などから、魅了した新思想が明確に浮かび上がってくる。

のちに学長となる佐藤昌介など1期生がやってきた。学期など大まかな校則を作ったクラーク氏に、担当役人たちが、生徒の生活・道徳などを定める「細則」を作る提案をしたところ「ビー・ジェントルマン。それが全てだ。それだけで十分ではないか」と答えた。そして、おりにふれ生徒たちに「私は諸君をジェントルマンとして扱う。規則ではなく自分の良心に従って行動せよ」と語りかけている。

東大学長を務めた矢内原忠雄が後に書いている。「明治政府が新国家を建設しようとしたとき二つの潮流があった。ひとつは東大に、法律の網をかぶせて国民を統治しようとする潮流、そしてもうひとつ北大に、個人の人格を高めることで国家を築こうという潮流があった。北大の潮流が途絶えたことは日本にとって不幸なことであった」と。

もう明らかであろう。日本に初めて個人主義思想が入ってきたのだ。それまで藩のため、天皇のため、国のために生きてきた全体主義国家・日本に青天の霹靂のごとく輝いた新思想は、青年たちを魅了したに違いない。省みれば民主主義は全体主義国家には根付かない。悪口を言われながらも欧米の民主主義は日本より進んでいる。その原因は、日本における個人主義思想の壊滅にあると考えてよいだろう。春爛漫の東京で、宴遊のむしろに酔いしれていた若者たちが、クラークの熱弁を聞き、我も我もと北を目指した心情を君知るや、だ。

全体主義と個人主義は、矛盾ではあるが対立概念ではない。人類は個人の自由を渇望しながらも社会を形成したがる。全体主義は法律であり文明である。個人主義は道徳であり文化である。文明の利器は、粗大ごみになるものと文化として残るものに分かれる。前者のみに身を置く定年退職者が粗大ごみと呼ばれてあふれかえり、今では国そのものが粗大ごみになろうとしている。眼前の利害のみを争い、夢や希望という文化を語らなくなった政党が、いま次々と粗大ごみ化して捨てられようとしている。

新渡戸稲造は卒業後、東大にも入学している。そのとき面接で、なぜ入学したいのかと問われ「私は太平洋の架け橋になりたい。そのため英語を磨きたい」と答えている。さらに「架け橋とは何か」と問われ、東西の文化交流をあげ、新思想導入への意欲を示している。しかし1年余で退校し、単身アメリカに渡った。後に東大教授となったときの教え子が矢内原忠雄であった。

全体主義国家・日本は個人主義思想壊滅による不幸の中にあがいている。すべて国家がしきる思想は、道路で転んでも国を訴える風潮を生み、生活保護を受けるのは国民の権利だとの風潮の中にいる。日本再生には北大精神への回帰しか道はないのだ。ご同輩たちよ。シーハイルの乾杯のあとだけでも、都を捨てて北を目指した先人たちの想いを偲ぼうではないか。新渡戸稲造はすでに、北大生がクラーク精神を省みず、東大の残滓をあさって官僚ポストを争う愚について警告している。

翻って反省するに、他日、学究の徒が北大にクラーク・内村鑑三・新渡戸思想の源流を訪ね来るとき、その痕跡・資料もなくて良いのか。司馬遼太郎氏は、明治維新を「シナリオなしの国家建設」とした上で「清貧、無私、無欲で偶然一致する」ピューリタン思想と武士道をあげ、前者の系譜にクラーク、内村鑑三、新渡戸稲造を、後者の代表に西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬などをあげている(「明治」という国家)。しかし、クラークをキリスト教としてとらえるよりも、宗教学者・山折哲雄氏の言う「ヨーロッパ個人主義」としてとらえる方が分かりやすいのではないか。蝦名賢造・元北大教授は「クラークは生徒たちをいわゆるキリスト教徒にしようとすることよりも、生徒の徳性を涵養するには宗教にしくものはないという信念のもとに、教育の究極のよりどころをあげて、それを生徒たちの心に植えつけようとしたのであった」「しかし、それによって生徒たちがどう導かれるか、クラーク自身わからなかったのである」(札幌農学校)と書いている。ヨーロッパ個人主義は、進化論などの影響で、神が造物主から道徳の基準へと変わって行く過程で発生している。新渡戸稲造もアメリカ滞在中「日本人は良心に従って行動といっても、神も信じないで基準がないではないか」と言われて「武士道」を書いている。

私の在籍した社会学教室・関清秀教授ゼミのテーマは「明治維新は何の革命だったか」であった。関教授が東北地方での調査を踏まえて出した論文に「明治政府が入会権をなくしたため村落共同体が壊滅した」というのがある。維新の1側面をとらえた、なかなかの力作である。その脇に、明治維新には全体主義から個人主義への文化革命の側面があった、という小さな旗を1本立てさせていただき、クラーク直系のヨーロッパ個人主義を標榜しながら後進の研究に期待したいと愚考するのだが、如何なものだろう。

憲兵、ゲシュタボ、紅衛兵、北朝鮮、ゲーペーウーなどの惨めな末路は、資本主義か社会主義かの観点からだけではなく、全体主義と個人主義の観点からの総括が待たれるのではないか。単に法律と道徳のバランスをとれば良いという問題ではなく、それぞれの側面で優れていなければならない。いわんや道徳の範疇である愛国心を法規で強制しようとする動きは亡国への第1歩と考えるのが、前掲の5例だけ見ても、科学的な仮説となるのではなかろうか。


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Last-modified: 2012-05-31 (木) 23:26:15 (2453d)