たいらのページです いらっしゃいませ。
「スキー文化の創造」 をテーマに、スキーを知り、スキーを通して、山と人を知っていけるようなことができたら、と思っています。
最近、広島に引っ越してきました。 シー・ハイル!(Schi Heil、ドイツ語でスキー万歳!)
体を動かすこと、考えること、書くこと、人と話すこと。そのどれもがけっこう好きです。この四つって、どれも相互に完全には切り分けられない。でもちょっとずつその比重が異なりますね。
Tiësto - In My Memory http://www.youtube.com/watch?v=9KqGmwi_Z5w
Keri Hilson http://www.youtube.com/watch?v=6cBZBeNfxwI&feature=player_embedded
Shayne Ward... ♪, "Breathing" http://www.imeem.com/people/sUNHxX7/music/UhzfUjLF/shayne-ward-breathless/
目次
BEING MOVED.
動かされること、動くこと。感動すること。気持ちよくなること。能動と受動の合間をぬいながら。被動,動,感動.感舒服.夾在能動與被動之間.
2019muine(3分13秒)
2018GW:カナダ・ワプタトラバース
2017年GW:金山沢(写真をクリックすると大きくなります)
2014年10月:甲武信ヶ岳・笛吹川東沢釜の沢西俣
魚留の滝
両門の滝 撮影:小出さん
2014年8月:大峰・前鬼川
撮影:小出さん
たいら 山とスキーの会・361番会員
0歳で東京都から群馬に引っ越して以来、引越しを繰り返し小学校は三つ行き、関東をぐるぐるしていました。大学入学を機に関東から離れ、北海道、台湾、アメリカ、関西、韓国で暮らしてきました。明確なふるさとを持つ友人と話をすると、私のふるさと、私のホームはどこかなと思わされます。
「キャプテン翼」の「岬君」を思い出します。岬君は転校を繰り返しながら、サッカーとボールをけり続けることをやめない男の子でした。そんな岬君の内面は、マンガではあまり描かれていなかった気がします。語れないことを語ることは、難しいことを作者がよく知っていたからでしょう。
世界や宇宙のどこにおいても、人と人、山と人の関係を、「アット・ホーム」なものにしていけないかなと思います。もちろん山が、通常の意味での「ホーム」などでありえないことは知っています。経験の浅い私ですら、すでに何人かの知己を山で失っています。だからここで言う「ホーム」は、内に閉じた文化的に均質な状態ではありません。「うち(家・内)」と「外」という二項対立が無意味になるような、そんなホームを作っていきたいです。滑り続けながら。
* * *
1970年代、東京都北区生まれ。
小学校時代 半そで短パンで冬も学校に通っていた(千葉県野田市)。泳げないために水泳クラブに入って、泳げるようになった。
中学校時代 盲腸の手術の時だけ学校を休み、皆勤賞を逃した。化学部に入っていたが、実質活動なしで帰宅部。
高校時代 ラグビー部(フランカー)と受験勉強。
1991年、北海道大学文?系入学 生まれて初めてのスキーを、山スキー(ジルブレッタ404と革登山靴)でする。それまで、スキーは「ブルジョア」のするものだと思っていた。恵迪寮に入る。サークル・歩く会に入る。
1992年―1996年3月 山スキー部在部(第83シーズン主任)。4年サイクルが基本のため、一年間休学して、山・旅・アルバイト・(すこしの)読書に励む。
1996年4月―2001年3月 台湾(中華民国)在住、あしかけ5年。人類学修士。台北県山岳協会会員。
1997年5月5日 第83シーズン同窓会(種子島宇宙センター)参加。
2001年4月―2003年8月 京都在住。生まれて初めて、フリークライミングをする。京都雪稜クラブに入る。
2003年9月―2004年8月 カルフォルニア、デイヴィス在住。タホー湖周辺のスキー、オレゴンのフリークライミングをする。
2004年9月―10月 京都。
2004年10月―2005年9月 台湾在住。タイヤル民族の村で暮らす。狩に行った思い出が一番強烈。
2005年10月― 京都在住。
2006年5月 第83シーズン同窓会(イスタンブール)どつぼり(ドンパの皆さんごめん)。
2007年3月 京都から大阪に引越し。台湾先住民族タイヤルと日本における植民地統治の歴史について論文を書いて、博士(文学)取得。
2008年3月―2012年3月 韓国安山市。
2012年4月― 神戸在住。
2016年3月― 広島在住。
* * *
仕事は研究と教育職です。研究のほうの専攻は、博士課程では「日本学」、修士課程では「文化人類学」、学部時代は「教育社会学」でした。これらに歴史や記憶の問題を含め、広く「人文学」と捉えています。近年は特に、帝国日本の植民統治がもたらしたものに焦点を当てています。
http://www.osaka-up.or.jp/books/ISBN978-4-87259-609-0.html
最近職場も夏休みになった。論文を書き続けている。職場にいって論文に取り組もうとする時、圧倒的な重責感に襲われ、行きたくない、と思ってしまう。この感覚は、京都に住んでいた時、枚方の「星田」クライミングウォールに行く時のあの感覚に似ている。やらねばらないのだが、力を尽くしても幾度もはじき返される、あの苦しみだ。でもそれは、よく考えるとやはりぜいたくな苦しみであり重責なのかもしれない。2011年8月3日安山市
2014年5月:北アルプス:東天井岳
2014年4月:白山
2014年2月:白馬・小日向山(おびなたやま)
撮影:近藤さん
2014年2月:白馬・裏鵯(うらひよ)
撮影:三浦さん
2013年8月:鈴鹿・神崎川
天狗の滝、今回は登攀は見送りました。撮影:邪牛さん
2013年6月:富士山
2013年5月:北アルプス・穴毛谷
穴毛大滝を巻く。
抜戸岳下部から滑り降りた。
2013年5月:北アルプス・双六岳
槍ヶ岳に向かって弓折岳を滑り降りるヤギ氏。
双六岳ピーク直下を滑るナラ氏。
2013年2月:北海道・ニトヌプリ
撮影:井上氏
2013年3月:大山・別山沢
撮影:伴現太
2013年2月9日:五竜岳・一ノ背髪
撮影:邪牛さん
2012年12月29日:北海道・三段山
三段山クラブの大西さんが報告をアップしていらっしゃいます。
http://www.sandan.net/tour/2013/121229/121229.html
2012年7月:大峰・前鬼川
撮影:やぎさん
右岸を登った。撮影:やぎさん
2012年6月:大峰・岩屋谷
キャンプ地の朝
装備
ナメ滝
雄滝80m。下に人が小さく見えます。同行していただいた海外遡行の茂木さんは、若かりし頃、これを登ったそうだ。きえぇぇー!!
2011年6月:韓国・유명산(有名山)
写真で伝えられるあの感動は、何分の一だろうか。
2011年2月5-6日:北海道・無意根山
学生時代に管理した、北海道大学無意根小屋へ。同期の二人も同行。他二人、現役らも。昔皆で上げた薪ストーブが、あたたかく迎えてくれた(写真:たなか氏)。
通称「シャンツェ」上で、風のために完全樹林外の「テラス」のスキーはあきらめる。やはりこの時期の北海道は、快晴でも甘くない。
2011年2月2日:北海道・積丹岳
風のため、標高1000m付近までで、スキーをする。海を見ながらのスキー。
2010年10月15(夜)―17日:韓国・智異山
すばらしい秋空の下、紅葉と縦走を楽しんできました。韓国語語学学校のクラスメートのカナダ人と、友人のニュージーランド人と。道中なぜか外国人ばかりに出会いました(自分もだけど)。
2010年9月:ダイビング・セブ島
山とスキーとちょっと離れてしまいますが・・。あまりにも美しかったので。
↑アヤコショウダイ(イサキ科) http://www.nangokulife.net/fishguide/perciformes/haemulidae/plectorhinchus_lineatus/plectorhinchus_lineatus.html
↑クマノミ(カクレクマノミ)(スズメダイ科) http://www.nangokulife.net/fishguide/perciformes/pomacentridae/amphiprion_ocellaris/amphiprion_ocellaris.html
クマノミはかわいい。こちらに向かって、口をパクパクさせて何か訴えている。あとで聞いたら、こちらを威嚇しているということ。別に、セブ固有種の暗い色をしたクマノミも見る。
2010年8月:韓国・雪岳山(ソラク山・설악산、1708m)
安山市からのバスで百潭(ペクダム)寺の入口へ。4時間くらいかかる。
百潭寺―ヨンシ庵:1時間半くらい歩いて、お寺に泊まる。途中大雨。素食のご飯が出た(宿泊1万ウォン)。
ヨンシ庵―<百潭渓谷>―中青待避所(ほぼピーク)−<千仏洞渓谷>―雪岳小公園下山:下山中に何度か驟雨が降り、休みながら行く。扁桃腺を痛めて四日ほど寝ていた為か、ペースがあがらない。途中30分くらいピーク近くで寝たが、結局12時間行動に。滝が多く、人も多いが、水墨画のような景色はすばらしい。
結局、高速バスが出る束草(ソクチョ)に着くと夜9時で、無理すれば深夜バスでソウルには帰れないこともなかったが、翌日の安山直行便で帰る。民宿(民泊という)は安い、2万ウォン、服の脱水までしてくれて、おばさんに感謝。
ウィキペディア: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%B2%B3%E5%B1%B1
ニセコアンヌプリ・バックボウル(鉱山の沢)(撮影:ししくら氏))↓(クリックすると大きくなります)
北海道増毛・浜益岳 左の斜面を滑りました。
2009年10月18日:韓国済州島ハルラ山(他5名)
2009年10月3日(中秋):韓国冠岳山ハイキング
2009年1月26-28日 日高山脈・札内岳
札内大斜面下部を飛ばす(撮影:ししくら氏)↓(クリックすると大きくなります)
札内岳ピークにて、日高山脈南方を背景に。板はサロモン・Scrambler Custom、180cm。重かったっす。↓
札内大斜面、右岸側からイン↓
2008年10月15日 韓国・冠岳山(クァナックサン)ハイキング(私一人)
2008年10月18日 韓国・北漢山(プッカンサン)ハイキング(京都雪稜クラブ まゆたさん、みずさん、と私)
双方とも紅葉がよくなってきた。重い腰が上がって、ようやく韓国でハイキングに行くことができた。
2008年GW山行 北海道・旭岳と、オプタテシケ山周回。ししくら氏と。下山後の空港で、日本人エクストリームスキーヤーの新井裕己氏が山で遭難したことを知り、すくなからずショックを受けた。
オプタテシケ山 全景↑
オプタテシケ山 北西稜西のルンゼをつめる(撮影:ししくら氏)↑
オプタテシケ山 南面スロープ・通称「スーパー」二葉(後方は美瑛富士)(撮影:ししくら氏)↑
ジャイアントスロープ(オプタテ東尾根北面スロープ)上部のししくら氏↑
オプタテシケ山 東尾根下部を飛ばす(撮影:ししくら氏)↑
旭岳 地獄谷を滑る 2008年4月23日↑
旭岳 地獄谷に飛び込む 2008年4月23日(撮影:ししくら氏)↑
2008年2月9日夜―11日:頚城山塊・黒姫山、佐渡山スキー
「頚城」は「くびき」と読みます。
雪降る都内をしみずさんに拾ってもらうが、信越道が本庄児玉まで閉鎖。中央道に転戦するも途中通行止めなどで、飯縄高原の長島ロッジに到着したのは、4時を回っていた。私は10時間。しみずさんはそれに+1時間。極い。関東からも甘くはなかった。
黒姫山(2,053m) 黒姫高原スキー場から。東の尾根を滑る。どうもここは北から東面の雪がいいようだ。ところどころ疎林で、奇声を上げながら下っていく。沢を一本間違えた。
佐渡山(1,826m) 長野県戸隠村。3時間もかからずピークへ。東面を滑るが若干ブッシーであった。もっと右寄りが疎林だったようだ。南面は上部は重いながらも楽しい。
佐渡山付近から見えたおもしろそうな所:五地蔵山(1,998)南東面。高妻山(2,352)北の2297東面(シュプールと登り返しが見えた)。乙妻(おとづま)山(2,318)北東面。
2008年1月19日夜―20日:加越国境・取立山・護摩堂山(ごまんどやま) Lきりさこ、SLたいら、Mよしだ(京都雪稜クラブ)
国境稜線をスキーで飛ばす↓
SOHOの文化と自然―建築・茶の湯・環境・山・旅―HPに、詳細が載せられました。
http://www.geocities.jp/killy_soho/nature/yamaski/08/080120toritate/index.html
2007年12月31日―2008年1月2日:北海道・無意根山スキー&無意根小屋 Lばん、SL邪牛、Mたけのぶ、こんどう、まきの、たいら
たった一回だけの、雪上のアート。
頂稜近辺より飛び込むこんどうさん(動画)↓
2008年1月3日:羊蹄山スキー 真狩墓地コースからコンタ(標高)1450位まで。メンバーは上の他に、ししくら、伊藤、ばば、おおすぎの皆さん。激パウ(パウダー)。コンタ1000を休みなしに降りたので、足が激疲れ。
2008年1月4日:キロロスキー場横1107峰スキー コンタ1000位まで。
シルバーロッジ、水谷ロッジ、パラダイスヒュッテに宿泊。集いの場を持てることにひたすら感謝しました。1月5日は苫小牧の船木邸にて、歌唱指導。
20時間フェリーに乗っていると、敦賀についた。正月が終わった。
リーダーのばんさんより、美しい画像をアップしていただきました(HP:山想)↓
http://ren-a.net/sanso/muine08/top.htm
2007年8月17(夜)―18日:大台ケ原・東の川シオカラ谷 Lたいら、SLししくら、Mまきの
猛暑の大阪を飛び出し、満天の星空にそよ風が吹く大台ケ原で、気持ちよく眠ることができた。翌朝は、もうすこし起床を遅らせたかったのだが。。。途中昼寝できたことで、それを取り戻す。
手こずった黒倉滝。いろいろ試行錯誤した後、ししくらさんが空身で右岸突破。↓
上流部の渓相↓
ちなみにこのシオカラ谷は、9月以降入山申請が必要となる。ただし左岸だけを行くなら必要ないが(笑)。ししくらさんはこの後、長い本州での沢休暇を終え、札幌に戻っていった。まきのさんは、念願の東の川に行けて満足の様子。閃光のきらめくような三人のランデブーでした。
2007年8月12-15日:南紀・大塔川・黒蔵谷―高山谷下降 Lたいら、SLばん、M邪牛、ししくら
12,13、そして14少し降雨があった。意外と寒い南紀。下山すると酷暑の関西で、もうすこし後ろにずれていれば涼しめたと、いつもながらの山天気。何回泳ぎ、飛び込んだか覚えることができた人はすごいです。夜は焚き火でごろ寝。毎日自然起床の9時過ぎ出で、沢生活を十分に満喫しました(13日は降雨のため遅出)。
高山谷にて。モデル:ししくら氏(ももんがではありません)↓
飛ぶ沢。モデル:邪牛氏(黄色いヘルメットを装着しています)。私はこの飛びで、ザックのバックルが壊れました。
邪牛さんの詳細な報告です↓
http://korogarukorogaru.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/07081215__52f3.html#more
邪牛さんが飛び込みを中心とした動画を編集してくれました↓
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_070902027215_1.htm
ばんさんの詳細な報告も、お楽しみください↓
http://homepage2.nifty.com/bngnt/index.htm
2007年8月5日:比良・貫井谷 Lたいら、SLばん、M邪牛、たまだ
大阪もついに熱帯夜に突入。シャワークライミングを求めて貫井谷へ。前にお助け紐を出してもらった18m斜滝をリードできて、とりあえずよかった。ばんさんのナッツを使用。おもしろい。しかし最後のほうの滝で、初見ではあと一歩が出ずにお休みする。まだまだ登り足りていないことを実感。
下山の細川尾根は、夏道と言っていいほどのしっかりした道だった。2002年だったか、故・大塚さんと、おおさかさんとで全く同じルートをたどった。同じパーティで、同じ山行は、二度とできない。
2007年7月27−29日:北ア・真川岩井谷 Lふくざわ、SLにしむら、Mよしだ、おかむら、たいら(京都雪稜クラブ)
Lのふくざわ氏は北大出身で、一人でヌピナイからソエマツを遡行したり、GWのカムエク南西稜を踏破している人である。山スキー部の面々とも、日高で多く出会っていると言う。ヌピナイでは私と出会っており(2001年よしだP)、その後京都雪稜クラブで「あの時に出会っていたんですか!」と奇跡の再会。カムエク南西稜では、山とスキーの会・きたがわ氏の車に乗せていただいたらしい。山の世間は狭い。
釣竿に伝わるビクンビクンという感触が…↓
(行動の概要)
27日 22時京都駅集合
28日 3:30富山県有峰(ありみね)有料林道ゲート入り口 6:00ゲートが開く、出発 7:45折立駐車場発 9:15岩井橋上から入水 14:00ゴルジュ入り口、右岸高巻き一時間 17:00標高1870m位テンバ(右岸)
29日 8:45出発、すぐに釣り一時間半 12:00薬師平への沢との二股 13:30源頭、夏道下山 16:30折立駐車場
右岸高巻きに一時間を要した険悪なゴルジュ(函地形)↑
2007年7月22日:鈴鹿・田村川割谷 Lたいら、SLよしだ、Mみずさん
もともと由良川源流の予定だったが、降水可能性があるため南方の鈴鹿に変更。京都に行ってみずさんを拾っていく。松屋で朝食を食べたりしながら、のんびりドライブで11時過ぎに入水。途中そうめんを食べて、ブッシュのない急斜面をつめて14時にピーク。滝は簡単なものがある。直登できないものは、巻き道明瞭。
うだうだして16時に林道についた。下りも沢。クライムダウンできない滝は巻ける。一箇所、みずさんが浮石を踏み、危うく大石の下敷きになるところだった(と言っても大体30−40リットルザック位の石だが)。鈴鹿はヒルが多い。やられた。近くの国民宿舎・かもしか荘でおふろ。大広間で川を見ながらゆっくりする。一号線甲西町の「カフェ&ダイニング・ピープル」は当たりだった。よくおしゃべりした一日だった。
2007年7月8日:比良・奥の深谷 Lたいら、SLたまだ、Mまきの、他京都雪稜クラブの3名(ひろさわ、よしだ、さかぐち)
せきが出て、体調が万全ではないが夏へのステップとして貴重な山行になった。初めはまきのさんとの予定が、メンバーが次々に増えて、総勢6名になった。「くるぶしの上まで水につかりたくない」などど冗談交じりにおっしゃっていたH嬢にも、沢のよさを分かっていただけたようで、よかったです。
入水点から夏道(中峠)まで、5時間半かかってしまった。水量が多かった。前は中を行けた滝も、今回は巻いたりしたがそれでもできるだけ中を行く。四段40メートル上くらいにある斜滝(8m位)で、ザイルも出した。メンバーは岩登りして岩慣れしていないと、登りでやはり時間がかかる。意外とおもしろい登りでした。
2007年6月16日:比良・明王谷から白滝谷 たいら、ばん
ばんさんと比良へ。いろいろ声をかけたが、結局ばんさんと二人で行くことになった。降水確率が高かったが、当日は快晴に。二の滝で、ばんさんがリードでザイルを出す。滑りやすくちょっと肝を冷やす。取り付きまでの泳ぎもなかなかのもの。そこでかぜがぶり返して、夫婦滝まで行かずに夏道を引き返す。新緑と新風が、全身を癒してくれた。
帰り道は女性一人のヒッチハイカーを拾う。学生時代、あれだけおせわになったヒッチ。感慨を覚えつつ、ほんの少しだけの恩返し。。
2007年5月2日―6日:後立山・剱岳 メンバー:Lたいら、SLばん、M邪牛、ししくら、もりおか、まきの
3日:立山駅―室堂―剣沢―真砂沢出合BC
4日:BC―長次郎谷―剱岳―長次郎谷―BC
5日:BC―長次郎谷右俣―池ノ谷ガリー―三ノ窓雪渓―BC
6日:BC―真砂沢―室堂
剱岳ピークアタック前のひととき。長次郎谷左俣上部コルにて。↓
濃霧の池ノ谷ガリーに飛び込む(モデル:邪牛さん)↓
池ノ谷ガリー・小窓の王をめがけるししくらさん(動画)↓
メンバーの邪牛さんから、写真つきで詳細な報告をしていただいてます↓
http://korogarukorogaru.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/07050306_3_82af.html
2007年3月30日−4月1日:北アルプス・白馬乗鞍岳
31日:栂池スキー場−乗鞍岳下の斜面まで往復。伴氏とはぐれてしまったのは大反省。その後「シャレー・武田」(旧武田山荘)というおしゃれなホテルで、山とスキーの会会員十余名と会食、飲み。翌日朝4時出発で関西に帰った。
2007年3月2日−3日:御岳(メンバー・他2名、スキー場のみ1名)
3日:御岳ロープウェースキー場−御岳途中まで。上部は斜面がカリカリでした。
2007年2月9日―12日:妙高・火打山(メンバー・他4名)
10日:妙高杉野原スキー場―三田原山―高谷池ヒュッテ
11日:悪天のため停滞、周辺スキー
12日:ピークアタックするも悪天のため2200m付近で引き返し。周辺スキー(雪よし、オーバーヘッド)―ヒュッテ―三田原山―スキー場下山
本山行「男を磨く男祭り」の報告書→男祭り.doc
本山行のスキー動画が、邪牛さんのブログ「ころがるころがる」にアップされました。ごらんください。http://korogarukorogaru.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_ffba.html
2006年12月31日―2007年1月1日:八幡平(秋田八幡平スキー場―稜雲荘)
2007年の年越しを、八幡平の稜雲荘にて。薪があるのを知らず、極寒の中でおしゃべりと酒に酔う。往復路共にフェリーを使用し、長旅となった。
稜雲荘(右)は美しい小屋:
2007年1月2−3日:岩手山(網張温泉スキー場)
時間読みを誤り、月夜の中ラテルネ下山スキー場スキーで足がパンパンになった。
森の中に張った夜のテント(左)と、翌日姿を現した岩手山(右):
2007年1月5日:八幡平(八幡平スキー場―茶臼岳)
お手軽かつすばらしい斜面を有する茶臼岳で締めくくる。斜面を二本滑って、13時には下山した。
茶臼岳直下のスキー地(雪よし、左)と、茶臼岳&バックにそびえる岩手山(右):
帰りに立ち寄った一関市の室根山荘にて
薪ストーブのとろめく炎のそばでの美酒・美眠。言葉は要らない。深田氏(374)の歓待を受ける。
邪牛氏のブログ「ころがるころがる」にも、本山行が掲載されました→http://korogarukorogaru.cocolog-nifty.com/blog/
2006年12月16日―17日:乗鞍・猫岳(2,581m)
林道(スカイライン)が長かった。帰りは板を新調したこともあり、ものすごいスピードだった。上は吹雪いていた。雪はまだ少ない。ブッシュのスキーには一瞬ひるんだ。
スカイラインからの取り付き:
樹林限界付近で。ピークはまじか(Kさこ氏):
2006年7月24日〜8月16日:ムスターグ・アタ峰(7,546m)
中国新疆ウイグル自治区の、ムスターグ・アタ峰(7,546m)へのスキー登山は、8月11日に登頂することができました。登山母体は京都雪稜クラブで、人数は4名(とトレッキング隊2名)でした。7月24日〜8月16日(京都発着・24日間)です。
計画書はこちらです→ KonronMuztag.doc
感想はこちらです→ ムスターグアタの感動と苦行.doc
写真や簡単なエッセイ→ ./ムスターグ・アタ峰
2006年7月7日、20日、21日:大阪・アミューズトラベル・低酸素室
自然にふれるために、わざわざ人工の施設を利用しなければならないとは、本末転倒のようだ。しかもお金をかけて。しかし、自分にとって、七千メートルは未知の世界だ。準備できることは、できるだけ準備しておいたほうがいい。若干の葛藤はあったが、今回は知らない世界を知るという意味でも低酸素室を利用して、最後の調整につとめた。
2006年7月14-17日:富士山(御殿場口)・高度順化II
梅雨前線の真っ只中、山頂で二泊してきました。テントのポールが、夜半の強風のため、曲がってしまった。この時期、富士山はあまり条件よくないのか。富士山三回目にして、初めてピークに! 御殿場口コースののぼりは、修行でした。下りの「砂走り」(すばしり/すなばしり)は、くるぶし以上に足が砂に埋まりながら、飛ぶようにして走り降りてこれる奇特なルート。
2006年6月16-18日:富士山(富士宮口)・高度順化
山頂で大雨に。ショートスキーをもって行くも、雨の中滑る気にはならず、断念。雪渓はだいぶ短くなっていたが、滑ることはできそうだった。パルスオキシメーター(血中酸素飽和度を測る)を使ってみた。
2006年4月29-30日:長野・唐松岳・八方沢上部、唐松沢:
八方沢上部コンタ(標高)200ほどを、軽く滑る
唐松沢(Dルンゼでないほう)の全景
唐松沢上部を滑る
2006年4月13日―16日:群馬・谷川岳・熊穴沢、芝倉沢など:
熊穴沢上部
熊穴沢下部
芝倉沢を滑る宮坂さん
バックに西黒沢と、谷川岳ピーク方面を望む
2006年4月7日―9日:長野・八ヶ岳・阿弥陀岳北稜:
テンバ(テントサイト)近くより見る北稜核心部(第一・第二岩稜)
狩野さん、朝のうち風がかなり強い
第二岩稜上にて、鶴岡さん
阿弥陀岳ピークにて
2006年3月11日:福井・経ヶ岳:
杓子岳南面の急斜面を登る近藤さん
経ヶ岳、今回はクラックなどで状況が悪いため、見ただけ
2006年2月10日―12日:信州妙高・三田原山・黒姫山:通称「飯綱ブハブハ」スキー:
妙高山。いつか山頂から滑ってみたい。
モデル:青山さん
2005年12月29日―2006年1月2日:伊豆城山(じょうやま):
アナザステップ5.9 モデル:稲野さん
2005年11月11−13日:小豆島「赤いクラック」ルートクライミング:
2005年10月4−5日:大峰山脈前鬼川:
2004年12月22−26日:妙高・火打山南面スキー(京大笹ヶ峰ヒュッテ泊)
2004年8月:オレゴン・スミスロック(クライミング)
2004年3月:カルフォルニア・シエラネバダ山脈・ピラミッドピークスキー
2004年1月:カルフォルニア・ヨシュアトゥリー国立公園(クライミング)
2003年5月GW:奥穂高岳周辺(奥明神沢下部、奥穂直登ルンゼスキー):
モデル:高橋さん
上二枚、奥明神沢
出発前、涸沢にて
北穂高岳ピークへ向けて
奥穂高岳と、直登ルンゼ
2003年3月:奥美濃・野伏ヶ岳スキー
2003年3月:白山スキー縦走(平湯― 白山― 一里野。福井の竹内さん訪問) ./白山スキー縦走
2002年11月:北アルプス・西穂高岳―奥穂高岳―涸沢岳西尾根(縦走):
これが奥穂高岳だったと思うんですが。。。
西穂から入ると、逆層スラブ、ジャンダルム、ロバの耳、と核心が出てくるのですが、写真の順序がごちゃごちゃで、場所がはっきりしなくなりました。とにかくなかなかの縦走でした。
2002年5月:富士山スキー
2002年5月:北アルプス・薬師岳・黒部五郎岳スキー
2002年4月:白馬岳主稜―白馬大雪渓スキー
2002年3月:北海道・利尻山・函岳スキー
2002年2月:八ヶ岳・主稜・中山尾根登攀
2001年11月:北アルプス・鹿島槍ヶ岳とキレット往復(縦走)
2001年8月10日―17日:中部日高、トヨニ岳―ソエマツ岳―十字峡(沢と稜線の縦走)。報告書はこちらです→ 2001年関西支部活動報告.doc
2000年1月:台湾・向陽山・三叉山(縦走)
1998年8月:パプアニューギニア・ウィルヘルム峰(4509m)(HUWVオービー・脇丸氏と)
1996年3月:北海道・北日高スキー縦走
1995年4月:札幌市北大の無意根小屋に、HUSV研究講座ストーブ班が設計した鉄板ストーブを荷揚げ
1995年3月:北海道・北中部日高・札内岳―カムイエクウチカウシ山スキー縦走
1994年4-5月:北海道・中部日高・カムイエクウチカウシ山周辺スキー 九の沢、コイボクカール滑降
1993年3月:北海道・サロベツ原野縦断。 HUWV所蔵の、「ペンケ号」「パンケ号」の二台のそりを引きながらの縦断。(小川氏、脇丸氏、寺門氏)
1992年5月:北海道・浦河―札幌175km長距離ワンデリング(54時間)(HUWA)
1991年秋:恵迪寮観楓会(かんぷうかい)・札幌―定山渓35kmを学ラン高下駄で闊歩 以降五年連続参加。一年は支笏湖へ。
※ 最後のほうは、「山行」報告とも学生時代の思い出ともつかなくなってきましたが、山も旅も私の中ではかなり近いものですし、ご寛恕を!
成瀬陽一の言葉。『俺は沢ヤだ!』(2009年、東京新聞出版局)。痛快な本です!
「フリーの出発点が、困難を克服する自分の可能性の発見なら(もしかして違ってました?)、沢登りの出発点は、自らを生み出した大自然の可能性の発見だと思っている」。
山旅ということ.doc 山、旅、山旅ということ。でも捨てがたい都会。(2009年9月韓国安山市にて)
事故報告書(1938年12月27日、北海道大学山岳部、北海道十勝連峰上ホロカメットク山、二名遭難死)
アルプス雪崩研究所を主宰している若林隆三氏から、1938年のハードスラブ雪崩の事故報告書をいただきました。 1994年12月のワンダーフォーゲル部のOP尾根の事故(1名死亡)、2007年11月の山スキー部オービーによる事故(ヘリで救出)などと同様の原因(ハードスラブ)ではないかと推測されます。
参考↓
http://www.sandan.net/avalanche/2008/071113/071113.html
アルプス雪崩研究所
台湾/日本/韓国
久しぶりに台湾を訪れた。日本とも韓国とも違う、そのことが改めて体に迫ってきた。頭ではずっと分かっていたことなのだが。「海角7号」という映画を見る。現在台湾でヒットしている映画だ。植民地統治が敗戦で終了し、「内地」へ帰る日本人男性と台湾人女性の淡い恋がひとつのストーリーだ。それと、現在進行形の台湾人男性と日本人女性の恋の物語がもうひとつのストーリーだ。
私が生活した台湾の六年が、体の端々から、かすかな記憶となって私にささやきかけてくる。その淡くてもろい記憶の断片を、たっぷりと吸い込んで韓国に戻ってきた。すると韓国での生活がまた新しく見えてくるのだった。台湾では、道すがら聞こえてくる言葉の断片が、かなり直接的に「意味」として耳に飛び込んでくる。私の韓国語はまだそこまで到達していない。
この半年間の韓国生活でなにが苦しかったかといえば、そうした意味の「不了解性」にひとつの要因があったのだと気づかされた。そしてそれは同時に、私がまだまだ「意味」に捉われていることを気づかさせるものだ。もっと自由になりたい。言語を操り、言語に捉われない自由へ。
中村中「友達の詩」
http://www.youtube.com/watch?v=zPQS55Y3Vds&ob=av3e
* * *
「快楽」への「逃避」のために山に登っていたのではないかという疑念が、一昨年にムスターグ・アタに登った時あたりから大きくなってきた。何からの逃避かといえば、「家」であり、「暴力」であり、「トラウマ的な記憶」であり、「東京」であり、「体制」であるようだ。「快楽」と「自傷」が紙一重であることにも思い至った。
この辺は、精神分析的「解離」(dissociation)、「遁走」(fugue)、「解離性遁走」といった概念を考えつつ、じっくりつきつめてみたいことだ。逃避は「非生産的」と同一ではなく、また「生産的」と同一でもないだろう。
まあ、そんなに深刻にならず、遊びながら。
文化
「文化は、いつでも批判的で創造的な再結合に対して開かれているコードとモノの集積」(ジェイムズ・クリフォード『文化の窮状』)。
退廃と快楽・享楽
生産的であり続けようとしてこなかったか? 山とスキー、生産と消費とは無縁の活動なのか?
アラスカ
最近ブルーだ。やる気がない。毎日暑い。毎日韓国語の4時間の授業を受けている。学生時代に戻ってしまった。論文を書かなければならない。二年間の講師契約の継続は、自分の業績と関係があるのだろうか。あまりにも世俗的だ。超越したい。ちっぽけな自分。人を愛したい。愛されたい。いろんな人と食事したりお酒を飲んだりする。台湾で聞いたさまざまな声と、日本の歴史、文化。「ムスターグ・アタ」から「アラスカ」へどういうつながりを?といきなり聞かれた。あまり考えていなかったことに、虚をつかれた。死にたくないということだ。感動したいということだ。美しいものを見て、重力をコントロールしながら滑りたいだけなのだ。体を鍛えていない今の自分は、だめなのじゃないか。学生時代の「部屋ノート」「小屋日誌」みたいな文章は、たまには必要ではないか。躁鬱。「スイッチが切れた状態」(小川啓)の自分。でも書いている自分。分裂病(統合失調症)